紙の月 実話① [エピソード]
映画「紙の月」のネタ元になった実話について。
映画「紙の月」は、角田光代さん原作の小説を映像化した作品ですが、
その小説は、実際にニュースで報道された銀行横領事件の実話 がベースになっているそうです。
なので、今回は、その参考にしたとおぼしき横領実話の詳細を
映画「紙の月」スピンオフとしてお届けしたいと思います。
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■■ 紙の月 実話ケース「滋賀銀行9億円横領事件の奥村彰子」■■
[事件について]
事件が明るみに出たのは、1973年(昭和48)10月21日のことだった。
滋賀銀行山科支店の行員・奥村彰子(当時42歳)が、業務上横領の容疑で逮捕された。
奥村は1973年2月までの過去6年間に、およそ1300回の不正詐取を働き、
9億円あまりの金を着服。
そのほとんどの金は、10歳年下の元タクシー運転手・山県元次(当時32歳)に貢いでいたことが
その後の取り調べで明らかになった。
[転落の経緯]
■男との出会い
奥村彰子(当時35歳)が山県(当時25歳)に初めて出会ったのは、
1966年(昭和41)だった。
1966年の春、滋賀銀行北野支店から山科支店へ転勤となった預金係の奥村彰子は、
帰宅途中のバスの中で突然見知らぬ男に声をかけられる。
「あの、彰子さんではないですか?」
彰子は、その男のことを忘れていたが、声の調子で思い出した。
男は名前を、山県と名乗った。
思い起こせば、彰子が山県と初めて出会ったのはちょうど一年くらい前のことで、
職場の懇親会でお酒を飲んだあと拾ったタクシーの運転手が、
今、バスの中で、目の前にいる男・山県その人だったのだ。
一年前のこと。山県と出会った時、彰子はタクシーの中で泣いていた。
当時つきあっていた男とのケンカが原因だ。
そんな彰子に優しい声をかけて来たのが、若い運転手の山県(25)だった。
二人は道々色んな話をして打ち解けはじめ、
「このままドライブしよう」
と誘ったのは彰子の方からだった。
酔って帰ったら、母親がうるさいからそう誘ったのだ。
そして、京都市内を三十分ほど走ったところで彰子は車を降り、
別れ際に「○○銀行の奥村彰子です」と嘘の銀行名と名前を名乗って彰子は去った。
銀行名はとっさに嘘の名称を伝えたが、名前は本名をそのまんま名乗った。
その事から、彰子の目には、山県が若くて素敵に映ったことが微かに読み取れるし、
彼女のこれまでの生い立ちや育ち方にも何か関係性があるようにも思える。
彰子は1930年(昭和5年)12月、大阪府北河内郡で生まれた。
3人姉妹の末っ子だった。
一家はその後、京都に移り住んだが、
彰子は通っていた高校を1948年(昭和23)7月には退学している。
理由は、父親が愛人をつくって家を出ていったからで、
男性不信になった母親が、男女共学に反対したのがきっかけだった。
その後、彼女は滋賀銀行京都支店に入行すると、
男の人には負けたくないと熱心に仕事にとりくんだ反面、
男嫌いの母親の影響もあって、縁談がなかなかまとまらなかったらしい。
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「あの、彰子さんではないですか?」
帰宅途中のバスの中で、彰子は男に突然声をかけられた。
彰子は、その男のことを忘れていたが、声の調子で思い出した。
男は山県と名乗り、彰子を喫茶店に誘った。
山県の話は、とても面白かった。
小遣いがたくさんあるので、ギャンブルで負けても平気だとか、
とにかく景気のいい話とその面白い語り口に、彰子は夢中になっていった。
そして、彰子は、銀行定期預金の募集期間だったこともあり
山県に「私の銀行に預金して貰えないか?」と頼んでみた。
そんなことがきっかけで、二人は数回の食事デートを重ねた後、つき合うようになった。
この些細なきっかけが、その後の彰子の転落人生の始まりだった・・・。
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■貢ぐ女
それはこんな風に始まった。
「ボートをやる金がいる」
つき合って間もなく、山県は彰子に競艇の舟券を買う金を無心し始めたのだ。
彰子は少額の無心に何度か答えたが、その金額はどんどんと大きな額になっていった。
自分の貯蓄を切り崩して、山県の要求に応え続けるが、それでは間に合わない・・・。
でも、35歳になって未だ独身の彰子には、どうしても恋人の気持ちを繋ぎ止めておくだけの
「金」が必要だった・・・。
山県の金の要求がエスカレートする中で、
彰子はバス会社を定年退職した男性と銀行の客として知り合った。
男性は彰子のことを女として気に入っているようすで、
彰子にアプローチするかのように何度も大金を定額預金に預けてにきた。
その気持ちを察した彰子は、男に気のある素振りをみせ、また遂には肉体関係まで持った。
定期預金を途中で解約しると言われたら、流用している男性の金の件が明るみに出てしまう。
前もって手を打っておく必要があると感じたからだった。
そして、どんどんエスカレートする山県の無心のために、
彰子は預金証書の偽造、架空名義での預金引き出しなどを繰り返し、
その手口も次第に大胆になっていった。
1973年(昭和48)2月1日、彰子は、山科支店から東山支店に移ることになった。
ついに悪事がバレると感じた彼女は、
下関にいた山県に電話で「睡眠薬を飲んで心中しよう」と持ちかけた。
が、山県は取り合わなかった。
数日後、銀行側が内部監査をはじめると、発覚を恐れた彰子は失踪する。
が、しかし、10月21日、偽名を使って大阪のアパートに潜伏していた奥村彰子は、
滋賀県警に逮捕された。
結局、その後の二人の供述から、銀行から搾取した金は8億9400万円にものぼり、
彰子はその途方もない巨額の金を1300回にわたって引き出していたことがわかった。
■公判
大津地裁の公判で、奥村には懲役8年、山県に懲役10年を言い渡され刑が確定した。
彰子は逮捕されるまで、山県が独身であると信じ込んでいたが、
逮捕後、捜査員から「山県は妻子持ちである」と教えられて愕然としたという。
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昭和を代表する巨額横領事件の奥村彰子という人物。
その動機は『男に貢ぐため。男を繋ぎ止めておくために』起こした事件だと言えると思います。
一方、その、『貢ぐという行為』に違和感を憶えたのが、
角田光代さんが小説「紙の月」を書くきっかけになったそうです。
つまり「紙の月」の主人公は『お金というものを介在してでしか恋愛が出来ない女』
ある意味、能動的に男に対してお金を使う女性像として描きたかったとか。
つまり、主客が逆転している構図に描いたということだと思います。
女の都合で男を振り回す。
その道具として、お金が必要だった・・・
という、あくまでも女が主導の事件を描きたかったのでしょうね。
まあ、平成と昭和という時代性の違いもあり、
恋愛や結婚の価値観は、かなり様変わりしていることを差し引く必要はあるでしょう。
でも、女性の芯になる部分に「男という名の不思議な鍵穴」が存在しているのは、
今も昔も変わらないのではないでしょうか?
この実話ケースを参考に映画「紙の月」を見て頂くと、より映画が楽しめると信じています。
では、劇場でお会いしましょう!
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■「紙の月」シナリオ
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2014-11-10 14:17
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